古賀稔彦の強さと一本背負い!息子二人と娘も同じ柔道家!

koga10 柔道

古賀稔彦さん、あなたの一本背負いはいつも素晴らしかった、いつも惚れ惚れして見ていました。

その技をあなたの息子さんか娘さんか日本人の誰かが継いでくれるといいのですか?

早すぎますね、本当に惜しい人を亡くしました。

昨年夏にがんの手術を受け、療養中で一旦は快方に向かっていたのですが、3月24日朝、神奈川県川崎市の自宅で亡くなられたとのことです。

1992年バルセロナ五輪で練習中に負傷しながらも、痛み止めを打って金メダルを勝ち取った時の雄姿は今でも記憶に残っています。

これから先、日本の柔道を強くしてくれるものと信じていましたが、本当に残念です。

 

古賀稔彦の強さと一本背負い!

古賀稔彦氏は歴代の日本柔道家の中でも屈指の技の切れを持った柔道家でした。

71Kg級でありながら、全日本無差別級で決勝戦にまで進み、残念ながら当時の世界チャンピオン小川直哉に敗れはしましたが、見事に善戦しました。

1992年のバルセロナオリンピックの雄姿と共に、この試合のことを覚えていられる柔道ファンは多いと思います。

無差別級で小川選手に敗れた後の言葉では次のように語っています。

もともと自分より大きな選手と闘うことが楽しみのひとつであり、自分の階級で世界を取れたのは、一つの区切りでしかない。

次は無差別でやってみようと思った。

負けたのは、心身ともに疲労した状況で、自分の中にある甘さ、弱さというものが出てしまった。

負けたというよりも、自分自身に対する悔しさや心の部分での未熟さを感じた。

限りなくストイックに柔道に取り組み「柔よく剛を制す」の言葉を自ら体現してきた古賀氏だけあって、病気への向き合い方も妥協を許さなかった。

手術後も寛解に向けて様々な治療方法を試したようです。

その甲斐あって一時は快方に向かった時期もあったのですが、今年になって腹水がたまるなどの症状がでて、悪化していました。

本当に残念でなりません。

古賀稔彦氏の技を日本柔道に残せているのでしょうか?

 

古賀稔彦とは

1967年11月21日 佐賀県三養基郡(みやきぐん)北茂安町(現:みやき町)に生まれ、53歳。

常に一本を取りに行く柔道で1992年のバルセロナ五輪では、後輩の吉田英彦氏(51歳)との練習中に靱帯損傷の重傷を負いながら、金メダルを獲得したことは有名です。

柔道を習っていた兄の影響で、小学校1年から柔道を始め、将来を期待され中学1年で上京し講道学舎に入門します。

その後世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高等学校に進学し、そのころから数々の大会での活躍で将来を有望視される存在になりました。

日本体育大学体育学部武道学科に進み、多くのタイトルを獲得します。

1988年のソウル五輪では3回戦で敗退するも、次のアトランタでは上述のように金メダルを獲得。

その次のアトランタでは階級を78Kg級に変更して臨み、銀メダルを獲得しています。

現在は、2007年から環太平洋大学体育学部体育学科教授兼女子柔道部総監督を務めています。

さらに、2014年から全日本柔道連盟女子強化委員・古賀塾塾長・日本健康医療専門学校校長を務めていました。

柔道の指導をするために、弘前大学大学院医学研究科後期博士課程を修了し、学位は博士(医学)となっています。

 

古賀稔彦の獲得したメダル

世界大会や全日本柔道選手権などで獲得したメダルは以下の通りです。

古賀稔彦 公式ブログを更新しました。 『人生一直線『塾長の一言』』 https://t.co/QjPM7Zydnb

— 古賀稔彦 (@Koga_Toshihiko) January 24, 2017

大会名 メダルの種類 階級
1987年 世界選手権(エッセン) 71Kg級
1989年 世界選手権(ベオグラード) 71Kg級
1990年 全日本柔道選手権 無差別級
1990年 アジア大会(北京) 71Kg級
1991年 世界選手権(バルセロナ) 71Kg級
1992年 オリンピック(バルセロナ) 71Kg級
1995年 世界選手権(千葉) 78Kg級
1996年 オリンピック(アトランタ) 78Kg級

 

息子二人と娘も同じ柔道家!

古賀氏の技は息子や娘に受け継がれているのでしょうか?

古賀氏には二人の息子と一人に娘がおり、3人とも柔道をしています。

柔道の経歴等は以下を参照ください。

 

長男:古賀颯人

長男:古賀颯人(はやと)(23)

  • 経歴:3歳より柔道を始め、古賀塾所属となる
  • 階級:73kg級
  • 段位:初段
  • 組み手:右
  • 得意技:内股
  • 戦績:全国小学校学年別柔道大会50Kgで優勝・愛知県大成中学校では3年生の時全国中学校柔道大会で優勝・大成高校は全国で阿部一二三に敗れ2位・国体では56年ぶりの愛知県の優勝に貢献。東アジア選手権団体戦 

優秀な成績を収めていますが、大きな世界大会での実績はないようですね。

段位が初段ということですが、恐らくこれは古賀稔彦氏があえて昇段試験を受けさせなかったのかもしれません。

段位は称号であって、実力とは一致しない面がありますので、強くなれば段位も勝手についてくるという考え方だったと推測します。

 

次男:古賀玄暉

次男:古賀玄暉(げんき)(22)

  • 経歴:3歳より柔道を始め、古賀塾所属となる
  • 階級:60kg級
  • 段位:初段
  • 組み手:右
  • 得意技:足技
  • 戦績:愛知県大成中学校では2年生の時全国中学校柔道大会個人戦50Kg級で2位・3年生では全国高校選手権60Kg級で優勝・その他国際大会でも多くの優勝を獲得している

国際大会での優勝経験はありますが、ジュニア時代のものが多いのですが、最新ではアジアパシフィック選手権60Kg級で優勝しています。

4月4日、全日本体重別選手権の最終日、男子60キロ級で古賀玄暉(旭化成)が優勝しました。

試合後のインタビューでは以下のように語りました。

「何も恩返し出来ずに亡くなってしまったので、何としても優勝したいと戦った。試合の合間にいつも連絡くれていたので、さみしかったけど、覚悟が今まで以上に強くなっていたので、最後まで勝ちきることができた」

 

長女:古賀ひより

長女:古賀ひより(20)

  • 経歴:物心ついた頃より古賀塾に入門して柔道を始める
  • 階級:57Kg級
  • 段位:初段
  • 組み手:右
  • 得意技:背負い投げ
  • 戦績:岡山県創志学園高校全国高等学校柔道選手権大会2位・インターハイ48Kg級2位

活発ないまどきの女性という感じですね。

岡山県創志学園高校時代には高校の大会で頑張っていたようです。

二十歳の現在は柔道を続けているのかは不明です。

 

古賀の一本背負いは残るのか?

長男次男長女とも並の選手ではなく、上位の選手であることは間違いありませんが、オリンピックで優勝する選手かというと、難しいと言わざるを得ません。

古賀稔彦氏の一本背負いについても、継承はされていないようで、非常に残念ですが3人とも柔道の道に進んだということはうれしく思います。

現在世界の中で柔道をしている国は200に上ります。

柔道は日本発祥の武道ですが日本柔道は一本を取る柔道を心掛けています。

決して優勢などで勝つのではなく、誰が見ても認められる勝利が基本です。

古賀氏の遺志を継いで、日本柔道がいつまでも美しい柔道を継承できることを望んでやみません。

 

柔道階級の変遷

柔道の階級は初めてオリンピックの競技になった1964年以来、以下のように見直しがされて来ました。

《男子》

man

《女子》

woman10

 

まとめ

平成の三四郎古賀稔彦氏逝く、の報は衝撃的でした。

日本柔道をもっともっと強くしてくれる人だと思っていました。

3人のお子さんたちはそれぞれ柔道を志していました。

古賀氏の柔道を後世に伝えてもらえたらと思います。

お悔やみを申し上げます。

安らかに。

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