楢崎智亜の実家は病院で父親医師ってほんと?なぜクライミングに?

tomoaEC クライミング

東京オリンピックで初めて採用された、「スポーツクライミング」で金メダルが期待される楢崎智亜選手。

海外の選手の間では「忍者」と呼ばれているそうです。

そんな楢崎選手ですが、実家は病院の経営をしていて父親が医師をされているとのこと。

本来なら跡継ぎを考えるところだと思いますが、楢崎選手がクライミングに進んだ理由は何だったのでしょうか?

今回は、楢崎智亜選手の実家のことや、スポーツクライミングに進んだ理由などをお伝えしていきます。
https://twitter.com/gorin/status/1423278810691112962

楢崎智亜の実家は病院で父親が医師ってほんと!

東京オリンピックスポーツクライミングで金メダルが期待される楢崎智亜選手の実家は内科の開業医だそうです。

父親の楢崎克雄さんが内科の医師をされているようですね。

その病院の場所やどういう病院なのかなどを見ていきましょう。

実家の父親の病院はどこ?

楢崎智亜選手は茨城県の出身で、ご自身のインスタグラムで以下の発信をされています。

オリンピック1000日前の今日、父の職場がある茨城県の鹿嶋市、神栖市の皆さんに激励、懇親会を開いていただきました。

茨城県の鹿嶋市、神栖市とあることから、父親の楢崎克雄さんが関係する病院は鹿嶋市と神栖市にあることが想定されますね。

病院の場所を載せておきます。
《医療法人雄仁会 あいクリニック》


《医療法人雄仁会 吾郎台ファミリークリニック》

実家の父親の病院の名前は?

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茨城県の鹿嶋市、神栖市にあって、楢崎克雄氏が関係する病院は2か所ありました。
医療法人雄仁会 あいクリニック 」と「医療法人雄仁会 五郎台ファミリークリニック」です。
医療法人雄仁会というのは楢崎克雄氏の雄を1文字とって名付けたのでしょうね。

医療法人雄仁会 あいクリニック

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医療法人雄仁会 あいクリニックでは院長を務めておられます。
あいクリニックは2015年8月に医療法人雄仁会 鹿島灘ヴィル ソレイユの同一敷地内に開設されたとの説明があります。
鹿島灘ヴィル ソレイユというのは健康な高齢者から要支援や要介護の高齢者を受け入れる施設で、その中の医療を受け持つ施設です。
鹿島灘ヴィル ソレイユという施設も、医療法人雄仁会が頭についているので経営は同じとみることができます。

割と大きく経営されているようですね。

所在地:茨城県鹿嶋市角折1285-3

医療法人雄仁会 五郎台ファミリークリニック


茨城県神栖市深芝南2丁目11-12にある五郎台ファミリークリニックです。

内科・外科・小児科・整形外科・皮膚科の診療科目があり、CTも完備しているようです。

頼りになる街のかかりつけ医という感じで、土日も診療可能となっています。

楢崎智亜は何故クライミングに?

現在25歳の楢崎智亜選手は高校卒業と同時にプロのクライマーになったと前項で紹介しましたが、進路に関しては、高校卒業してからどうするかを一番悩んだとインタビューで答えています。

理由はやはり、自分の世代ですぐプロになるという人はおらず、ほとんどは大学に進学していたからでした。

普通に考えれば、当時はボルダリングが流行り始めた時期ではありましたが、一般にはそれほどメジャーではなく、高校卒業してプロになるという選択肢はあり得ませんでした。

しかしその時すでにユースクラスのクライマーとしての実績を重ね、将来を嘱望されていた楢崎選手にはその道を諦める選択肢はなかったのかもしれませんね。

そのわずか1年後に世界一になるのですから、立派なものです。
参考:THE ANSWER

医学部を目指さなかったのは何故?

楢崎選手は3兄弟の次男ですが、前項で紹介したように実家は医療法人として複数の医療機関を経営していることから、3兄弟全員が医者を目指してもおかしくない境遇です。

ところが、医者になる気はあったか?と聞かれて「最初はゼロです」と即答しています。

しかし、兄が普通の大学に行って弟も全くその気がなかったので、一時は自分が?と思うこともあったようです。

それが、後述の理由によりクライミングに専念できるようになったと明かしています。
参考:THE ANSWER

父親からのプレッシャー

クライミングに専念できることになった楢崎選手ですが、一時は父親からのプレッシャーもあったようです。

父親からは『プロになって2年以内に成績が伸びなかったら大学受験をしなさい』と言われていました。

ここまではよくある話ですが、楢崎選手はプロ転向2年目のフランスで行われた世界選手権のボルダリングで優勝してしまいます。

同年の年間王者にもなり、押しも押されもしない日本のエースとなってしまいました。

このような結果が出ていなければ、今頃はもしかしたら医大に通っていたかもしれません。
参考:THE ANSWER

跡継ぎはどうなった?

楢崎選手がクライミングで世界的に挑んでいる時、長男が「自分も何かに挑戦してみようか」と思い、通っていた大学を辞めて医師になる勉強を始めたそうです。

途中から医学部に入りなおすのは大変だったようですが、このおかげで楢崎選手は安心してクライミングに専念できることになったのです。

父親としてはもちろん誰かに家業を継いで欲しいという思いはあり、楢崎選手もそうした思いは感じていたようです。

他の人に任せてしまうのはもったいないと当時は思うこともあったようです。

プロクライマーを選んだ理由は?

高校卒業時、進路を悩んだ時本当に自分がやりたいのは何かと考えて、クライミングを選んだという感じはあると話しています。

その後も、一時は真剣に悩んだという自分の進む道ですが、やりたいことをやるのが一番だと今は思っていると、振り返ります。

ボルダリングとの出会いは?

楢崎智亜選手は1996年6月生まれ。

幼稚園から器械体操を始め、素質が良かったため当時は将来を期待されたのですが、突然床が上がってくる幻覚を覚え、体操は諦めることになりました。

その後、10歳の頃に兄の影響でクライミングジムに通い始めてからボルダリングにはまり、高校卒業後になんとプロ宣言をしました。

いきなりプロ宣言とは、ちょっと驚きですが。

そこから2年で世界王者になってしまうところを見ると、相当の自信があったのでしょうね。

プロ転向後の活躍

高校卒業からわずか1年後の2016年、楢崎選手は世界のクライミング界に彗星のごとく現れ、ボルダリングの世界大会で日本人男子として初の年間優勝を果たしました。

その後も、2年に一度開催される世界選手権でも優勝し、このころから2020年東京オリンピックの金メダル有力候補として注目される存在となりました。

身長170cm、体重60キロ、体脂肪は2%前後という身体に生来の指の関節の強さと身体のしなやかさで、忍者のように壁を登る姿は新世代のクライミングスタイルとして世界の驚嘆の的となっています。

今後の活躍が期待されます。

まとめ

東京オリンピックで初めて採用された、「スポーツクライミング」で金メダルが期待される楢崎智亜選手。

実家は病院の経営をしているのになぜスポーツクライミングに進んだのか?についてお伝えしました。

フリークライミングはパリ大会でも正式競技として採用されることになりました。

まだまだ楢崎智亜選手から目が離せません。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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