東京オリンピックで初めて採用された、「スポーツクライミング」で金メダルが期待される楢崎智亜選手。
海外の選手の間では「忍者」と呼ばれているそうです。
そんな楢崎選手ですが、実家は病院の経営をしていて父親が医師をされているとのこと。
本来なら跡継ぎを考えるところだと思いますが、楢崎選手がクライミングに進んだ理由は何だったのでしょうか?
今回は、楢崎智亜選手の実家のことや、スポーツクライミングに進んだ理由などをお伝えしていきます。
https://twitter.com/gorin/status/1423278810691112962
目次
楢崎智亜の実家は病院で父親が院長ってほんと!
#スポーツクライミング 男子複合【速報】
予選のスピードで楢崎智亜選手が2位と良いスタートを切りました🙌
#Tokyo2020 #オリンピック pic.twitter.com/2IZOTyy3h1
— オリンピック (@gorin) August 3, 2021
東京オリンピックスポーツクライミングで金メダルが期待される楢崎智亜選手の実家は内科の開業医だそうです。
父親の楢崎克雄さんが内科の医師をされているようですね。
その病院の場所やどういう病院なのかなどを見ていきましょう。
楢崎智亜の実家病院の場所を特定!
スポーツクライミングみてる
楢崎智亜選手、総合2位すごい!!
ちなみに秘境鉄道でメキシコ行った時
クライミングの聖地と呼ばれる場所に行ったのはいい思い出#スポーツクライミング#東京オリンピック #東京2020 pic.twitter.com/vJjtpidtrQ— 古原靖久 (@yasuhisafruhara) August 3, 2021
楢崎智亜選手は茨城県の出身で、ご自身のインスタグラムで以下の発信をされています。
オリンピック1000日前の今日、父の職場がある茨城県の鹿嶋市、神栖市の皆さんに激励、懇親会を開いていただきました。
茨城県の鹿嶋市、神栖市とあることから、父親の楢崎克雄さんが関係する病院は鹿嶋市と神栖市にあることが想定されますね。
病院の場所を載せておきます。
《医療法人雄仁会 あいクリニック》
《医療法人雄仁会 吾郎台ファミリークリニック》
実家の父親の病院の名前は?
茨城県の鹿嶋市、神栖市にあって、楢崎克雄氏が関係する病院は2か所ありました。
「医療法人雄仁会 あいクリニック 」と「医療法人雄仁会 五郎台ファミリークリニック」です。
医療法人雄仁会というのは楢崎克雄氏の雄を1文字とって名付けたのでしょうね。
医療法人雄仁会 あいクリニック
医療法人雄仁会 あいクリニックでは院長を務めておられます。
あいクリニックは2015年8月に医療法人雄仁会 鹿島灘ヴィル ソレイユの同一敷地内に開設されたとの説明があります。
鹿島灘ヴィル ソレイユというのは健康な高齢者から要支援や要介護の高齢者を受け入れる施設で、その中の医療を受け持つ施設です。
鹿島灘ヴィル ソレイユという施設も、医療法人雄仁会が頭についているので経営は同じとみることができます。
割と大きく経営されているようですね。
所在地:茨城県鹿嶋市角折1285-3
医療法人雄仁会 五郎台ファミリークリニック
茨城県神栖市深芝南2丁目11-12にある五郎台ファミリークリニックです。
内科・外科・小児科・整形外科・皮膚科の診療科目があり、CTも完備しているようです。
頼りになる街のかかりつけ医という感じで、土日も診療可能となっています。
医学部を目指さなかったのは何故?
楢崎智亜選手
めっちゃいい身体 pic.twitter.com/UAxBDYTwtj— あっくん後援会公式アカウント (@official_akkun) August 2, 2021
楢崎選手は3兄弟の次男ですが、前項で紹介したように実家は医療法人として複数の医療機関を経営していることから、3兄弟全員が医者を目指してもおかしくない境遇です。
ところが、医者になる気はあったか?と聞かれて「最初はゼロです」と即答しています。
しかし、兄が普通の大学に行って弟も全くその気がなかったので、一時は自分が?と思うこともあったようです。
それが、後述の理由によりクライミングに専念できるようになったと明かしています。
参考:THE ANSWER
父親からのプレッシャー
🧗17時競技開始🧗
いよいよ本日、スポーツクライミングが五輪デビュー。競技初日には日本の楢崎智亜、原田海が登場します。⌚競技スケジュール
17:00 ~/スピード
18:00 ~/ボルダリング
21:10 ~/リードhttps://t.co/LasBfg4hNo🎥放送・配信
NHK BS1、https://t.co/4WIKNuMNU0— CLIMBERS(クライマーズ) (@climbersjp) August 2, 2021
クライミングに専念できることになった楢崎選手ですが、一時は父親からのプレッシャーもあったようです。
父親からは『プロになって2年以内に成績が伸びなかったら大学受験をしなさい』と言われていました。
ここまではよくある話ですが、楢崎選手はプロ転向2年目のフランスで行われた世界選手権のボルダリングで優勝してしまいます。
同年の年間王者にもなり、押しも押されもしない日本のエースとなってしまいました。
このような結果が出ていなければ、今頃はもしかしたら医大に通っていたかもしれません。
参考:THE ANSWER
跡継ぎはどうなった?
クライミング🧗🏼♂️の選手かっこよすぎる
選手▼
🇯🇵楢崎 智亜(170.60.25)
🇩🇪アレクサンダー メゴス(173.57.27→28)割と体操競技してる人とかボルダリングできそうな感じした。相当むずいんだろな pic.twitter.com/6I5IMWu9NV
— たっくっま🍵 민준 (@rykdsk) August 3, 2021
楢崎選手がクライミングで世界的に挑んでいる時、長男が「自分も何かに挑戦してみようか」と思い、通っていた大学を辞めて医師になる勉強を始めたそうです。
途中から医学部に入りなおすのは大変だったようですが、このおかげで楢崎選手は安心してクライミングに専念できることになったのです。
父親としてはもちろん誰かに家業を継いで欲しいという思いはあり、楢崎選手もそうした思いは感じていたようです。
他の人に任せてしまうのはもったいないと当時は思うこともあったようです。
プロクライマーを選んだ理由は?
✊楢崎智亜が2位で決勝に進出!✊
東京五輪のスポーツクライミング競技が、3日に行われた男子予選でついにその幕を開けました。日本の楢崎智亜がスピード2位、ボルダリング2位、リード14位で全体2位となり、5日の決勝進出が決定。原田海は残念ながら18位で敗退となりました。https://t.co/mPDJCoAeGf— CLIMBERS(クライマーズ) (@climbersjp) August 3, 2021
高校卒業時、進路を悩んだ時本当に自分がやりたいのは何かと考えて、クライミングを選んだという感じはあると話しています。
その後も、一時は真剣に悩んだという自分の進む道ですが、やりたいことをやるのが一番だと今は思っていると、振り返ります。
ボルダリングとの出会いは?
🗨️楢崎「かなり緊張した」原田「忘れられない試合になった」🗨️
男子予選後、かなり緊張したという楢崎智亜は「ルートが全然よくなかった」と反省の弁。原田海は「良くも悪くも本当に忘れられない試合になった」と悔しさをにじませました。#東京2020 #スポーツクライミングhttps://t.co/s5CoJng0F2— CLIMBERS(クライマーズ) (@climbersjp) August 4, 2021
楢崎智亜選手は1996年6月生まれ。
幼稚園から器械体操を始め、素質が良かったため当時は将来を期待されたのですが、突然床が上がってくる幻覚を覚え、体操は諦めることになりました。
その後、10歳の頃に兄の影響でクライミングジムに通い始めてからボルダリングにはまり、高校卒業後になんとプロ宣言をしました。
いきなりプロ宣言とは、ちょっと驚きですが。
そこから2年で世界王者になってしまうところを見ると、相当の自信があったのでしょうね。
プロ転向後の活躍
高校卒業からわずか1年後の2016年、楢崎選手は世界のクライミング界に彗星のごとく現れ、ボルダリングの世界大会で日本人男子として初の年間優勝を果たしました。
その後も、2年に一度開催される世界選手権でも優勝し、このころから2020年東京オリンピックの金メダル有力候補として注目される存在となりました。
身長170cm、体重60キロ、体脂肪は2%前後という身体に生来の指の関節の強さと身体のしなやかさで、忍者のように壁を登る姿は新世代のクライミングスタイルとして世界の驚嘆の的となっています。
今後の活躍が期待されます。
野口啓代との結婚を発表
楢崎智亜公式インスタグラム(@tomoa_narasaki)から ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ https://t.co/I75cqVVzPU
— kens-2 (@followken_1) December 26, 2021
楢崎智亜さんは12月25日、この夏の東京オリンピックスポーツクライミングの女子複合で銅メダルを獲得した野口啓代さんとの結婚を発表しました。
同時に発表されたメッセージによると、東京五輪の後に入籍したとのことです。
野口さんは東京五輪後、競技者としては引退を表明していました。
楢崎智亜の実家は病院 まとめ
楢崎2位スタート 原田は15位 クライミング男子複合https://t.co/CKFra5hoTV
男子複合予選に楢崎智亜、原田海出場した。最初の「スピード」で、楢崎は2位、原田は15位だった
— 産経ニュース (@Sankei_news) August 3, 2021
東京オリンピックで初めて採用された、「スポーツクライミング」でメダルが期待された楢崎智亜選手でしたが4位でメダルには届きませんでした。
今回は楢崎選手の実家が病院の経営をしていて父親が院長を務めていることや病院の場所などをお伝えしました。
病院は本来楢崎智亜さんが継ぐ前提だったようですが、クライミングの世界に行ってしまったので、急遽長男が方向転換して病院を継いでいるということでした。
フリークライミングはパリ大会でも正式競技として採用されることになりましたが、その時楢崎選手は28歳になります。
全てのスポーツ選手に訪れる選択の時は近いといえるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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