滝沢カレンはどこのハーフ?母子家庭で母の実家の祖母が育てた?

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バラエティでよく見かける滝沢カレンさん。

ロシアのウクライナへの侵攻を受けて、その関連で滝沢カレンさんの父親がウクライナ人であるということが報道されました。

滝沢カレンさんはウクライナ人の父親と日本人の母親から生まれた、日本とウクライナのハーフだったんですね。

どこかと日本のハーフだろうとは思っていましたが、今回の報道でウクライナ人の父親ことは初めて知りました。

そこで今回は滝沢カレンはどこのハーフ?母子家庭で母の実家の祖母が育てた?をお届けします。

テレビではいつも元気で明るく、ちょっと危なっかしい日本語で人気者ですが、私生活は波瀾万丈だという。

その辺りを徹底調査でお届けします。

 

滝沢カレンはどこのハーフ?

滝沢カレンさんは日本とウクライナのハーフなんですね。

父親がウクライナ人で母親が日本人なんです。

父親に関しては、以前テレビのバラエティ番組「特盛!よしもと」に出演した際に語っていて・・・

「超ハッピーな 生き別れというやつで、知りもしない、おなかの中にいる時に生き別れた」

このように、滝沢カレンさんが生まれる前に両親が離婚していることを語っています。

離婚というよりもむしろ、未婚のままカレンさんを出産したというほうが正しいのかもしれません。

 

滝沢カレンの母は病気で他界?

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滝沢カレンさんの母親(宮沢さゆりさん)は、バレエスタジオ リビーナの代表を務めておられましたが、2018年7月に癌が原因で56歳で他界されています。

バレエスタジオ リビーナの所在地はこちらです。

写真は宮沢さゆりさんの50代のころでしょうか、とても綺麗な方で若い頃はめちゃくちゃ綺麗だったんじゃないでしょうかね。

母親の宮沢さゆりさんは小さい頃からバレエに興味を持ち、高校は学校法人日ソ学園に通いました。

現在は学校法人日ソ学園 東京ロシア語学院という名称になっていますが、現在も営業は続けているようです。

宮沢さゆりさんは親には内緒でバレエ教室に通っていましたが、ボリショイバレエを見てから衝撃を受け、習っているバレエに違和感を感じるようになりました。

宮沢さゆりさんは高校卒業後お金を貯めてソ連にバレエ留学に行きます。

ソ連ではバレエの学校に通っていましたが、ボリショイの公演がある日は授業そっちのけで劇場に通っていたそうです。

バレエ留学から帰国後、ロシアのバレエ教師の通訳の仕事を紹介され通訳もするようになっていました。

ロシア語の通訳をしていた関係で、ロシアのバレエ教師との関係ができ2008年にバレエスタジオ「リビーナ」の設立に至ったとのことです。

その約10年後に宮沢さゆりさんはがんのためお亡くなりになりました。

 

ウクライナ人の父親と母の馴れ初めは?

滝沢カレンさんが生まれたのが1992年5月13日で母親の宮沢さゆりさんは1962年の生まれですから、30歳の時にカレンさんを生んだことになります。

宮沢さゆりさんがウクライナ人の父親と出会ったのは20代後半ということになります。

その時期はおそらくさゆりさんは日本にいて、ロシア語の通訳をしているときに、当時はまだソ連の一部だったウクライナ人の父親と知り合ったのではないでしょうか。

そして妊娠がわかったものの、その人はウクライナに帰り小百合さんがそのまま日本に残ったということなのではないでしょうか。

そのウクライナ人の父親がさゆりさんの妊娠を知っていたかどうかは明らかになっておりません。

もしかしたらさゆりさんはそのことを知らせていなかったのかもしれなし、などということを考えてしまいます。

 

ウクライナとは

ウクライナはこちらですね、最近ニュースでよくご存知な方も多いと思います。

黒海に面した国で東はロシア、西はポーランド・スロバキア・ハンガリー、南は・ルーマニアモルバド、北はベラルーシと国境を接した国です。

ウクライナは第二次世界対戦後、ソビエト社会主義共和国に合併され国全体がソビエト連邦の一部となっていました。

ソビエト連邦の崩壊に伴い1991年にウクライナとして独立を果たしています。

広さは日本の1.5倍悪い結構大きな国なんですね。

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首都のキエフは歴史的な建物の多い美しい町ですね。

 

母子家庭で母の実家の祖母が育てた?

滝沢カレンさんの母は仕事が忙しく、カレンさんを主に育てていたのはおばあちゃんだったそうです。

祖母のカレンさんに対する教育は厳しく、おばあちゃんから教えてもらった言葉は今でもカレンさんの心の奥深くに残っているようです。

例えばこんな言葉だそうです。

  • 「どんなにあなたの年齢が上がっても、あなたは人間の底辺であることを忘れるな。」この言葉は今でも調子に乗ったり生意気になったりするのを止めてくれる。
  • 小学校で体が大きいことが原因でいじめられていた時「大きいんだからやり返せばいい」このおかげでいじめを克服できた。

自分は人間の底辺であると教えられ、それで育ってきたために今でも常に人に対しては以外は使えないのだそうです。

小学校3年生の時も小学校1年生に対してずっと敬語で喋りかけていたらしいですね。

もっといっぱいあるとは思いますが、今でも心に残る言葉を多くもらったんだろうと思います。

子供時代を過ごした実家はすでに売却されていますが、今の家主が祖母の遺品を送ってくれたそうです。

その中にはモデルとしてデビューした当時の滝沢カレンさんの写真パネルなど、思い出の品がいっぱい入っていたそうです。

カレンがモデルになることは反対はしていたけれど、陰ながら応援してくれていたことが分かる遺品でした。

 

おばあちゃんはモデルになることに反対だった

滝沢カレンさんがモデルになることに対して、おばあちゃんは大反対でした。

おばあちゃんとしては、母子家庭に生まれた子だから尚更、ちゃんとした子に育てなければいけないという責任感があったのだと思います。

だからなおさら厳しく育てていたんだと思います。

芸能界に入るきっかけは、渋谷で芸能事務所にスカウトされたことですが、以前から芸能界への憧れはあったそうです。

テレビドラマに出演する女優の竹内結子さんを見て、自分も芸能界に入りたいと祖母に話すと、大反対をされました。

「そんな子に育てたつもりはない、芸能界に進むなら縁を切る」とまで言われたそうですがそれでも諦めきれなかった。

こっそり芸能事務所に履歴書を送ったり、スカウトされるために街をぶらついたりしていて、芸能界へのきっかけをつかみました。

モデルデビュー後は祖母とは疎遠になってしまいましたが、亡くなった後で応援してくれていたことが分かりました。

 

滝沢カレンの天然トークは演技?

おバカキャラとは思いませんが、滝沢カレンさんのちょっと変わった単語の選択は演技なのでしょうか。

カレンさん自身は生まれてこの方ずっと日本で育っているわけで、育った経緯は普通の日本人と全く変わりはありません。

なのでもしかしたら演技でやっているのかもしれませんね?

でも最初に出演した時緊張してたまたまそういうトークになってしまって、それが逆に面白かったからそれを続けているということもあるでしょう。

滝沢カレンさんの普段着のトークがどうなのかは知りませんが、今のままで良いと筆者は思います。

だけど、もしおばあちゃんがご存命ならば、二言三言苦言をいただいていたことでしょう。

 

滝沢カレンのプロフィール

小学生の11歳の時すでに身長が168cmもあったという滝沢カレンさんのプロフィールをまとめておきましょう。

  • 本名:宮沢まりな
  • 芸名:滝沢カレン(水にちなんだ芸名にしたかったので水の中で一番大きい滝を選んだ。名前のカレンは、小学校の時から自分に赤ちゃんが出来たら付けたいと思っていた名前)
  • 生年月日:1992年5月13日(29歳)
  • 出身:東京都
  • 血液型:AB型
  • 瞳の色と髪の毛の色:茶色
  • 身長:170cm~172cm
  • 所属事務所:スターダストプロモーション(2014年~)
  • ジャンル:ファッションモデル(タレント、女優)

 

滝沢カレンはどこのハーフ まとめ

滝沢カレンはどこのハーフ?母子家庭で実家の祖母が育てた?をお届けしました。

滝沢カレンさんはバラエティでは言葉の選択が面白くひょうきんなところを見せていますが、なかなか芯の通った女性ですよね。

日本テレビ系「行列のできる相談所」の企画で、倖田來未さんのライブにバックダンサーとして出演するというものがありました。

カレンさんの母親の宮沢さゆりさんがバレエ教室の代表であったこともあり、カレンさんも多少はクラシックバレエを経験していたようです。

その甲斐もあって、練習時間3週間で見事にやり遂げました。

そんな滝沢カレンさんを今後も応援していきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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